母のこと

カテゴリー │【我が家の日記】私の母のこと/母から受け継いだもの

体コンディショニング チルチェ

痛み不調改善&産前産後ケア トレーナー
小野崎あゆみ
です。
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もうあれから3週間も経ってしまいました。

2022年に入って
ブログの更新ができていませんでした。
その間にもアクセスが多く、たくさんの方が見に来てくれていたようで感謝です。
ありがとうございます。



1月4日に
同居している私の母が他界しました。

年末にこの記事
2021年振り返り~廃業・起業・子どもの卒業入学・母の世話
を書いたときは
まさかそんなことになるなんて思いもよらなかった。

年末、どんどん食べれなくなってきていて
寝ている時間も増えてきていました。
とはいえ、しゃべる声は元気があり
30日には自分ひとりでお風呂にも入っていました。


元旦に、母の部屋に見に行った時に
どうもトイレ以外は起きていなくて
ゼリー飲料以外のものも食べていない様子。

「病院へ行こう」
と言っても
「え。。。」と乗り気ではない。

お正月だし、その気持ちもわかる。

でも
「歩けなくなったら救急車呼ぶよ」
と言ったら
救急車呼ばれては困る、と
仕方なく病院へ行く準備を。

何とか起き上がり
2階の自室から孫たちの手を借りながら
車へ。

お昼ごろかな。
病院へ。

救急外来はとても混んでいて
待合室がいっぱい。
母は車いすで、私は立っていました。

救急車が来て運ばれてきたり
他の病院何件も断られて、やっとここに受け入れてもらって遠くから来た方もいらっしゃって
お正月関係なく、こんなにバタバタしているのか、
とびっくりしながら何時間も待ちました。

途中、母は横になりたい、と訴え
中のベットで横にならせてもらいました。

でも診察順番は回ってきません。

大けがしている方もいらっしゃったし。

夕方やっと診察があり
2つの臓器の数値が高い(臓器不全を起こしている)こと
肺炎を起こしていること

検査結果を見ながらいろんなことを言われました。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

12/22にはこの病院で血液検査やCTなど、いろんな検査をしているのです。
その時は歩いていたし、検査結果は異常ないし
「食べると水便が出るからあまり食べれない」と訴えていたら
「腸はキレイだけどね。栄養が取れないから食べてね」と言われていました。

1/5から始まる治療に向けて頑張りましょう、という感じで。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それが
この1週間でどんどん衰弱していって瘦せていって・・・




この日はこのまま救急病棟で入院です。
入院グッズはすでに用意してあり、
入院後、私も病室へ入れました。

「体、拭いてもらって気持ちよかった」
と言っていました。


私の帰宅は20時前でした。


帰宅中の運転しているときにも
医師から電話があり
帰宅後も他の医師から電話が。

かなり危ない状態、と。




1月2日(日)
夫と子ども達は、夫リクエストで秋葉神社へ行きました。
私は病室へ。

病室へ入る前に先生との面談。

いろいろな書類にサインしたり
詳しく病状を説明されたり。


もう、、、
私はいっぱいいっぱいでした。。。




1月3日(月)
朝、長男の用事で送迎しているとき、昨日の医師から電話が。

運転中だったため、停まりたかったけど
今停まると長男は遅刻するし、
長男を送った後では先生が病院を出てしまう、というので
仕方なくスピーカーで。

本当は長男に内容を聞かれたくなかったのですが。
高校1年生。いろいろわかる年齢なので。
長男にとってはとても衝撃的な内容だったと思います。。。



午前中に救急病棟から個室へ移動しました。

救急病棟では、最初に名前を書いた家族しか面会ができません。
でも個室に移動すれば、もちろん節度を守りますが
会わせたい方に会ってもらうことができます。

私は
母の姪に会わせたかった。

母は9人兄弟の末っ子です。
母の、一番上のお姉ちゃんは、母が生まれた時に21歳でもうすでに結婚していて
お姉ちゃんに育ててもらいました。
その、お姉ちゃんが生んだ子ども(母の姪)とは姉妹のように育っていて
姪の子どもは私と同じ年です。
ひと世代、ずれてしまっているんですね。

そんな姪(私のいとこ)とは、絶対に会ってもらいたくて
お正月にこんな電話をするのはとても気が引けたのですが
たまたま家にいて、面会に来ることができました。


酸素マスクを着けていたので
何を言っているか聞き取りづらく、何回も聞いてしまって、何回も言わせてしまって
苦しかったかもしれません。


姪(私のいとこ)が帰って
仕事中の夫が休憩時間をずらして
子ども達(母の孫)を連れてきてくれました。

コロナが落ち着いていたころだったので、本当にラッキーでした。
12月まで入院していた病院は面会できなかったのですが
この病院はルールに基づき、許可してくれて
大変ありがたかったです。

毎日家で会えていた孫たちですが
やっぱり最後もちゃんと会わせたかった。

末っ子は
病室に入る時に
「おばあちゃん、やっほ~~」と言いながら手を振っていて
母も笑っていました。


秋葉神社で出た大吉のおみくじ
前日の長男の初蹴り
明日、持ってきてほしいもの
など話して
「疲れた」と眠たそうだったので退室することに。


面会時間終了まであと1時間。

一度子ども達を家に帰してから
私だけでもまた来ればよかった。








いつも私は携帯をナイトモードにしてあり
21時から6時までは着信がならないようにしています。


けれど、この日はそれを解除。




1月4日3時44分
病院から電話があり、すぐに着替えて病院へ。


11年前の父の時は
2時に電話がなり、父に付き添って泊まっていた母と一緒に看取りました。

今回は私ひとり。


ごめんね

ありがとう


それしか言えなかった。



長生きさせてあげれなくてごめんなさい



母のこと



そこからは怒涛の生活でした。。。




また書きます。




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